7月の再会を振り返る

二日続けて、嬉しい再会があった。

一つ目は、大学時代に一緒にドイツに旅したメンバーとの再会。旅行から15年も経つとそれぞれの環境はさらに変わっていて、お母さんになっていたり、資格取得を目指していたり、誰かを応援する側だったり、今の自分と向き合っていたり。全く違う世界にいて、戦っている友人がることがありがたいと思った。
夕方、都合のつく数人と花火を見たり、雑魚寝して夜中まで話したり。今の自分の迷いを細かい角度から深掘り・展開してもらったことは一人ではできる作業ではなかったのでとても助かった。結果分かったことは、私のやりたいことは居場所づくりではない。

忘れないように、ここに記しておこうと思う。Qが友人でAが私。

Q.居場所づくりがしたいって言ってるけど、どんな人に来てほしいの?
A.想像したことがない。どちらかというと、自分が居て許される場所を作りたい。お弁当屋さんとか居酒屋とか、理想とする場所はあるけど誰が来るとか考えたこともなかった。
Q.やりたいことって居場所づくりなのかな?何をすることが喜びなのかな?
A.自分が良かったと感じた場所を再現したかったり、他の人に伝えたいのかも。自分が良いと思ったものを誰かに伝えることは好きだし、それで相手が喜んでもらえたら嬉しい。でも、誰かの居場所でありたいかも。
Q.それって友達でも良くない?仕事である必要あるかな?
A.う〜ん。でも自分の強みを活かして働きたいんだよね。目指したい姿はあって、それに近づきたい。
Q.仕事はなんでもいいんじゃないかな?それよりも、目指す人物像で居れる自分、その機会がある仕事がいいよね。
A.確かに!(今までことあるごとに居場所づくりって言ってきたけど・・・)

翌日は、ドイツに行く前にプレゼンを聞いてもらった二人との再会だった。
ブログを読んでくださっていたこと、異国のケーキの発信を楽しんでいただいたこと、「手作り」を欲している人はいますよと言ってくださったこと。切り盛りしている姿、浮かびますよと言ってくださったこと。
ありがたい。

一方で、すっかり気持ちが落ちてしまった今、今日まで、ことあるごとに、いろんな人に「悩んでいるんです」と初対面の人、気の置けない人、誰構わず相談してきた。でもそれって、とってもとってもダサいな、自分で自分のことを肴にしてカッコ悪いな、と気づいた。文章にすると、さらにわかる。他人に求めても、解はない。

今日、「頑張ってきたんですね」と声をかけてくださった方がいて、それを聞いた私はそれを言って欲しかった(言ってほしいばかりだった)んだと思った。前からそうだけど。

カッコ悪いまま、誰かに求めたまま、5ヶ月も過ごしてしまったな。
まだずっとぐるぐるしてるままで、何も踏ん切れたわけじゃないけど、とある試みを決意した8月の終わりです。

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