もう無理だ。3月29日、退職届を出した。
そう思ったタイミングはもうずっと、何度もあって。もっと頑張る、もう少し耐える、というピークをふつと超えてしまった。
3年間の修行期間、結構辛くても耐えてたけど、今回は無理だった。なぜだろう、わからない。
自分が忘れないために、退職理由を並べてみる。いつか自分が逆の立場になることがあるかもしれないから。
・対面で話せないのは辛い(ただでさえドイツ語がネックなのに)、自分が思っていることを伝えられないのは辛い。それでも、ここはおかしい、こうしたほうがいいと思う、と意見した際は受け入れられず・聞く耳を持たれず・下手したら怒りを買ったのは辛かった。もちろん経営者の店で、彼女のルール、なんだけど
・何言っているかわからないから、あなた、通訳して、と他の従業員を間に挟んで取り合ってもらえなかったこと
・いつでも聞く耳を持っているわ、と言ってくれてはいたけど、なかなか話すタイミングはないし、聞く耳持たれなさそうだし、そんなことがあってから信頼できなかった
・また逆に、信頼されていないと感じるのは辛かった
・現場を見れていないのでは?という指示
・もの扱いされている感覚には憤った(私は労働者であるけれど)。直前に変更される安定しないシフト、変化する勤務時間、私はものではなくて生きている人間なんだけど、と。シフトは時間も曜日も、できれば安定していたほうがいい。週一の休みでは洗濯して、部屋の片付けして、終わるから、できれば二日連続休めたほうがいい
・積みたいと思っていた経験が、今の状況ではしばらく積めそうにもない、と気づき、なんのためにここで働いてるんだっけ?と、となってしまった。同時に、仕事は仕事で、自分の積みたい経験や知識は個人の時間を使う他ないとも気づいた。しかしその個人の時間が全くなかった
・自然の中に入ったり、“生活すること”を学んだのに、毎日10~12時間労働で仕事と家の往復だけになり、ランニングも山に行くエネルギーもないことに嫌気がさしていた。疲れ切ってしまった
・毎日一生懸命、 100%、試験の時のように働くなんてわたしには無理だ
退職届を提出した翌々日には受理され、正直、とてもホッとした。(正確にいうと、ドイツでは退職届が受理される必要はない。人事責任者や社長の手元に届けばOK)5月末まで働いて、6月に飛ぶ計画。
ただでさえ、人手不足の職場で、いつも助けてくれた同僚には本当に申し訳ない。それでも私は、今の職場を投げ出して、逃げることにした。しかし彼女は「あなたの選択よ」と受け入れてくれた。(逃げるは恥だが役に立つ。ドラマの逃げ恥は実はテーマから何も逃げてなかったと思う)
私の次に働く人はもう見つかっているようだ。私がいても、いなくても、どうにでもなるというのは確かだ。
日本に帰って何する、というのはまだ決めていないけど、会いたい人たちに会って、食べたいものを食べて、しばらく休もうと思う。ちなみにドイツにまた戻るかどうかは、ちょっと怪しい。日本でできたはずの、ドイツで叶えた生活ができるならば、多分日本にいると思う。
たしかに、誰かに喜ばれることは、わたしの最大のエネルギー源ではあるけれど、誰かに喜ばれたりガッカリされたりするために生きているわけじゃない。
何者になるか?という問いに対して今は、何者にも、阿部容子以外にはなれない、何者かになるために生きているわけではない、という答えに辿り着いている。
今回のブログを書くのに苦心していて。
次へのステップだと言い換えてくれたOくんありがとう。だから、わたしはまた、新しい旅立ちとして、自分に手紙を書こうと思ってるよ。
さて、今、日本がどんな国になっているのか、故郷はどんな風に変わったのか、変わってないのか。4年ぶりに帰る街は空港が新しくなり、高層ビルに新しい商業施設もオープンしたそうだ。家族の増えた友人、年をとった家族、それぞれが色々な事情を抱えて生きている。久しぶりに会う実家の猫は、私を覚えているだろうか。
長い間がんばりましたね。
お疲れさまでした。
気を付けて帰国してください。
読み苦しい(自分でも読み返しても苦しい)日記にコメントくださって、そしてずっと読んでくださっていてありがとうざいます。
これで人生は終わるわけではないのですが、一区切りします。
少し時間はかかるかもしれませんが、ご挨拶に伺います!
その時まで。